オオサカジン

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11/29 『オオサカジン』セミナー開催報告


2020年から始まった『オオサカジン』社長会も今回で12回目、累計で100名以上の社長・幹部の方がご参加頂きました。
これもひとえに皆様方のご協力があったからこそ。
この場をお借りし、お礼申し上げます、ありがとうございます!

このオオサカジンセミナー交流会の目的は、『オオサカジン』と企業様、各企業様相互の交流を促すべく、『オオサカジン』がそのプラットフォームとして運営しています。
これまでの交流の中で、様々な交流や共創ビジネスの成果もあがってきており大変感謝しています。
『オオサカジン』はこれからもそのような出会いから何か素晴らしいコト・モノが生れるように引き続き励んでまいります。



さて、当日のセミナー報告です。
セミナーと交流会の2部構成、場所は弊社セミナールームにて行いました。
参加人員は13名でした。

プログラム


1部:セミナー「アノ関西最強のPR会社社長が明かす、広報・宣伝集客戦略とは・・」 
講師:株式会社ラプレ 代表取締役 上谷信幸氏


旧来のマスコミやメディアやSNSを駆使して、企業のPR活動を支援している、関西No.1 戦略PRプロデューサー 上谷氏を講師に招き、
実例や裏話を交えながら、世間から注目し取り上げられる広報・宣伝・ブランディング戦略についてお話いただきました。
上谷氏のセミナーは前回が大盛り上がりであったため、今回2回目になります。

上谷氏が仕掛けた「ガチャめし」(ガチャガチャのカプセルに食券を入れ、運を天に任せて昼食メニューを決める)やCity Metroでお馴染みのお肉の自動販売機「肉ガチャ」など、すべて大成功したその狙いを、上谷氏の独特なあの口調(といってもわかる人はわかる、わからない人はわからないが、、)で会場は大盛り上がりでした。

前回以上に豊富な事例を大型モニターにお見せし、大変わかりやすい内容でした。
上谷氏等級の「笑い」をちりばめ、しかしその中にも確実な成功要因も押さえる内容は今回も素晴らしいものがありました。
さすが「関西PR会社No.1」と言わしめただけの内容でした。
(これで参加料無料はかなりのお得・満足感か?)
事後アンケートを見ても「非常に良かった」が大半で、我々仕掛け側としても安堵でした。

2部:交流会
ご参加された社長様、広報担当の幹部社員の方の活発な交流の場です。
今回はフードサービス業にほぼ絞ったため同業の方の現状課題に共通項が多く、すばらしい出会いが演出できたと自負しています。




関連URL



オオサカジン 社長インタビューコーナー https://shacho.osakazine.net/
株式会社ラプレ様サイト https://www.raple.co.jp/
「PRでっせ」 https://www.prdesse.com/










染 食 還 ~染色を通して、地球に還す~


東大阪で染め直し業を営む株式会社福井プレス。
代表の福井 伸(のぶ)氏から「きのこラボ開設のお知らせ」の案内が届きました。




福井プレスは親子3代続くクリーニング店を引き継ぎ、その後様々な人のご縁があり、元のクリーニングの設備の転用で染工場へ事業転換します。

染める材料は多岐にわたります。
珈琲豆、チャフ(焙煎した時にでる焼けた薄皮)、クラフトビールの麦芽粕、花屋さんの花びら、飲食店のアボガドなどなど。
事業者から廃棄される排出物を染料の資源にしています。

様々な染料が、ずらりと



珈琲染めは福井氏が5年前、東京で親族が経営する小さな珈琲焙煎所を訪れた際に見つけたチャフを知ったことからスタートしました。
クリーニング店は染工場に、更にきのこ栽培へ。
福井氏が試行錯誤していく中、福井プレスは今や産業廃棄物の再生事業に変わっていました。
福井氏本人もこの経緯に不思議がっていますが、今回お会いしたその顔には一歩一歩進んでいる感触と覚悟が見えました。

3代目代表 福井 伸氏


福井プレスが染工場が再生事業に変革したことは他に類を見ない事業転換事例として、多くの大手企業から注目されました。
大阪の有名百貨店からはサステナビリティの催事販売の出展依頼があったり。
その後、福井氏は染め物の廃棄物からきのこが育つことを知り、その研究する大学との産学連携にも動き出します。

当時、世間がSDGsやサステナビリティ(持続可能性)と叫ばれている中、福井プレスはすでに目の前の事業活動でその実践が成されていることに、著者は驚き、取材させてもらいました。

★『オオサカジン』社長インタビュー記事(2021年09月10日公開)  
https://shacho.osakazine.net/e731490.html


記事にもあるように当時はきのこの実証実験を繰り返しているところでした。

あれから2年。
遂に「きのこラボ(ラボラトリー、以降ラボ)」が開設に?

話を聞きに行かねばなりません。

染 食 還 


福井プレスは東大阪市西石切、国道170号外環状線沿いにあります。
高級車ベンツがずらりと並んだYANASEのショップの西裏にあります。
世界のベンツのその裏店(だな)に、「きのこラボ」か!ええやん。


福井プレスが考える「染 食 還」はこうです。

   珈琲店の廃棄物を再利用
     ↓
   珈琲を使って染色
     ↓
   きのこ栽培キットを製作 →きのこ染料、建材・製品、バイオコークス
(※)
     ↓
   家庭で栽培
     ↓
   栽培後の菌床の再利用
     ↓
   土に還る


(※)バイオコークス:バイオマスの固形燃料。バイオマスは再生可能な、生物由来の有機性資源で化石資源を除いたものをいう。


循環型社会の縮図がここ、福井プレスと言えます。

事業コンセプト図


解説していきましょう!

珈琲店の廃棄物を再利用
・賞味期限の切れたフードロス豆やドリップ後のカスを染料として再利用
・産業廃棄物となるチャフ(豆の薄皮)も再利用可

珈琲を使って染色
・限られた資源を染料として有効に活用する
・浸染(しんぜん:液体の中にひたして染める)、捺染(なっせん:布に色模様を染め出す)の併用可能(どちらも珈琲100%)
・天然染めとしては品質の高い堅牢な色に仕上がる

きのこ栽培キットを製作
きのこ栽培の研究をしているため、菌床に適する培土を珈琲カスで再現、再利用化できる
⇒染色後の珈琲カスを再利用し、キットの培土を製作する

家庭で栽培
喫茶店などできのこ栽培キットを購入し、家庭で栽培

栽培後の菌床の再利用

栽培後の菌床を、家庭菜園などの肥料や除草剤に再利用

土に還る

文字通り “土に還る”

珈琲豆の「染 食 還」


きのこラボに向かうその横に、フードロスの珈琲豆がドンゴロス(自然素材の麻袋)?の袋にどっさりと積まれていました。
袋の中の豆の感触を知りたくて、軽く手のひらを置いてみますと、油⁈

手のひらが瞬時に油まみれに!

「珈琲豆は相当な油が出るんですよ!」と福井氏。

本来廃棄されるこれらのフードロス豆が染料になり、残りカスがきのこの培地(きのこを育てるための土)に生まれ変わるのか。
感慨深く袋の山を眺めました。

フードロス珈琲豆が山積みに




部屋のカウンターにコンクリートブロックのような物が置いてああります。

「それがきのこ建材です。かなりの強度がありますね。」

ブロックはかなりの硬さです。
きのこ建材とはきのこ菌床、つまり培地内に網目状に菌が増殖した状態になり、これを乾燥するとまるでレンガのように硬くなるのだと。

様々な形の「きのこ建材」



「この上のランプの傘、これもそうですよ。」

穏やかな光が降りそそぐ

きのこ建材の傘に包まれたランプの光は不思議に、環境にやさしく感じました。
きのこ建材は硬さに反して、かなり軽量化されており、従来の化石燃料から新しい代替品の可能性が高いようです。

更に私は棚に置いてあった高さ30センチほどの焦げ茶色のい円柱に目が行きました。
これは何?

珈琲コークスです。
バイオコークスと言われるもので、あらゆる植物から形成できる固形燃料ですね。
珈琲豆を染料として使用した後の珈琲の残りかす(残渣)をバイオコークスの原料とする事で、珈琲の香りが残る珈琲コークスが製造出来ます。
このコークスを使って珈琲豆を焙煎したり、アウトドアでバーベキューや焚火の燃料に利用できます。」

 
可能性に満ちた珈琲コークス


私は次から次に出てくる珈琲の変身物に驚いていると福井氏は次に、チョコレート色した硬いプラスチックの板のようなものを見せてくれました。

「プラスチック成型品の原料となるペレットです。珈琲染色に使用した後の資源の残り(資源残渣)を使い、従来のPP(ポリプロピレン)との配合で作り上げます。これはプラスチック製造会社とのコラボレーションです。 」

染料の残りがプラスチックに化ける?
それが珈琲ペレットでした。
完成品には資源の残りカスの持つ色味や香りが残り、無機質な従来のプラスチック製品に比べ、品質にまさに!味があります。


染料の残りが、プラスチックに!


きのこラボとは


さて、きのこラボです。

現在、ラボは建設段階でした。
なぜラボが必要なのか?

きのこ栽培はクリーンな環境が必要とのことです。
きのこの菌が雑菌に阻害されることなく成長するために、無菌状態で作業するための装置(オートクレーブやクリーンベンチ)で滅菌し、クリーンな環境下で作業を行います。
このため、専用のラボがいるのです。

見学させていただいたラボの部屋は大枠で仕切られており、その部屋の壁にはきのこの生育状況が見れたり、展示ができるお洒落な棚も出来上がっています。
あとは様々な機材の納入待ちの状況です。
8月プレオープン、10月本格オープン予定。
期待に私の胸も高まります!

まだ空間だが、夢で一杯になる「きのこラボ」


福井氏がきのこ建材の話しているときに言ってました。
「自然が本来持っている特徴を生かしたきのこ建材。最後には土に還ることは言うまでもありません。
繊維業界に属する染工場は石油業界に継ぐ2番目の環境汚染産業と見られています。
従来の生産活動を続けて行く事に疑問を感じ、私たちのポジションでこれからの社会に必要とされるスタイルは無いだろうか・・。
そんな考えから導き出した答えが<染食還>としての活動でした。
地域社会に必要とされる染工場にならなければなりません!」


福井氏が発した「土に還る」
この言葉が「染 食 還」をわかりやすく翻訳してくれたのよう感じました。

きのこの世界観に魅せられた者たちのドラマはこれからです。


SDGsでのプロダクト一覧


福井プレスは現在スタッフは11名。
その全員が染め物もきのこ栽培研究も、そして事業・商品のブランディング、そのデザインコンセプトからWEBサイトや印刷物まですべてを担っています。
WEBも印刷物もデザイン性が実に高く、聞けば武蔵野美術大学卒が2名も在籍しているとのこと。
著者は長年、採用事業に携わっていましたが、優秀な人材確保は社名の知名度でも会社の規模でもなく、その事業者の人格や夢が人を呼び寄せるのです。
正に現在の採用の成功事例を目の当たりにしました。
彼ら彼女らがつくる商品一覧です。
持続可能な生産サイクルから生れました。

珈琲染めTシャツ
濃染プリントの独自技術で天然色素100%。珈琲の消臭効果が期待できる。
プリント用の型紙を切り抜くワークショップでオリジナル作品の制作も可能に。

珈琲染めエコバッグ
レジ袋有料化に伴い、活躍の機会が格段に上がったエコバッグ。
抗ウィルス加工も施し、時代に則したアイテム。

蜜蝋ラップ
珈琲染めを施した生地に天然油脂の蜜蝋をコーティングした布ラップ。
繰り返し使用可能。使い捨てされない環境に配慮したアイテム。

きのこ栽培キット
染料として再利用された珈琲カスを培土とし菌床をつくる。
小スペースの都市部でも、生産可能な農産物を生産し、世界的な食糧問題解消に向けた提案となる製品。






株式会社福井プレス
東大阪市西石切町6-3-42

オフィシャルサイト:https://fukuipress.com/
染め直し屋:https://somenaosiya.jp/
珈琲染めプロジェクト:https://mushroom.hp.peraichi.com/labo/
「染 食 還」ブランド:https://senshockan.com/






★5/30 『オオサカジン』社長会VOl.10 開催結果報告


2023年5月30日、『オオサカジン』社長会が開催されました。

2020年から始まった『オオサカジン』社長会も今回で10回目、100名以上の社長様がご参加頂きました。
思えばコロナ禍の逆境の中、意地でもリアルイベントをしたいと『オオサカジン』編集部一同の思いがこの10回目に繋がっています。
この場を借りて御礼申し上げます。

『オオサカジン』は各企業の皆様の交流のプラットフォームとして運営。
この間、各企業間での共創ビジネスもあちらこちらで生まれています。


さて、5月30日『オオサカジン』社長会のご報告です。

全3部構成、場所は弊社セミナールームにて。
参加人員は16名(予定人員を1名増)でした。




【プログラム】
1部:セミナー「関西最強のPR会社社長が語る、自社ブランディングと広報・宣伝戦略とは・・」 
講師:株式会社ラプレ 代表取締役 上谷信幸氏


自社の商品・サービスの魅力を知ってもらうためには継続的な情報発信が必要不可欠になっています。
旧来のマスコミやメディアやSNSを駆使して、企業のPR活動を支援している、関西No.1 戦略PRプロデューサー 上谷氏を講師に招き、
実例や裏話を交えながら、世間が注目し取り上げられる広報・宣伝・ブランディング戦略についてお話いただきました。

上谷氏が仕掛けた「ガチャめし」(ガチャガチャのカプセルに食券を入れ、運を天に任せて昼食メニューを決める)やお肉の自動販売機「肉ガチャ」などすべて大成功したその狙いを、上谷氏の独特なあの(といってもわかる人はわかる、わからない人はわからないが、、)口調で会場は大盛り上がりでした。
笑いの中にも確実な成功要因も押さえる内容は何百回と講演してきた賜物。
さすが「関西PR会社No.1」と言わしめただけの内容でした。
(これで参加料無料はかなりのお得・満足感か?)




2部:社長交流会
社長様の活発な交流の場。廊下に声が漏れてたようです。(管理事務所様ごめんなさい。)



3部:大阪産(もん)でお馴染みの「居酒屋 空」にての懇親会
食べて、飲んで、膝突き合わして語る、本音の歓談。
聞けば、この場ですでに数件の共創ビジネスが生まれました!
『オオサカジン』イベントの強みでしょうか。




次回は8月下旬~9月上旬予定です。
またお知らせいたしますので、代表の皆様、お気軽にお問合せください。

▼オオサカジン 社長インタビューはこちら
https://shacho.osakazine.net/





「はんこと大阪の文学」 三田村さんの〈捺 捺 捺(ななな)〉




現代の名工(※)三田村薫さん

大阪は中央区のはんこ屋さん三田村印章店の主(あるじ)だ。
主といっても単に出来あいのはんこを販売するのではない、印章( 多くの方が印鑑と呼んでいるものは、本当は印章という名称)技術において大変なお方。
(※)現代の名工:卓越した技能者表彰制度に基づき、厚生労働大臣によって表彰された卓越した技能者(卓越技能者)の通称

詳しくは『オオサカジン』社長インタビュー記事を参照ください。
『オオサカジン』記事 https://shacho.osakazine.net/e724473.html

先日、三田村さんの初個展「はんこと大阪の文学」のご案内を頂いたので、見に行くことにする。




個展当日までにも様々なメディアで取り上げられており、現在の「脱はんこ」の潮流の中、如何にはんこの存在意義を問うているものだと感じた。




三田村さんが作るはんこは独自の書体だ。
その印影は女性的でもあり、繊細にして、広大。
印影の丸く仕切られた狭い空間を、文字の1本1本が縦横無尽に触手を伸ばしている。
ある方はそれを「宇宙に変える物語性」と表現している。
言い得て妙。

三田村さんの彫るはんこは、柔らかなしぐさながらしっかりと手で押す様子を表す「捺」から、ブランド名を「捺 捺 捺(ななな)」という。

「捺 捺 捺」の美しさはTシャツにも映える。


さて、個展へ。

西区靭公園南の小さな展示会場。
はんこの「捺 捺 捺」に実によく合った会場だ



階段を上がり2階へ。
お店でもお馴染みの仲良しご夫婦がいらっしゃった。





個展のコンセプトは大阪文学×「捺 捺 捺」

大阪文学の代表格、織田作之助の「夫婦善哉」、谷崎潤一郎の「細雪」などの8作品の小説に登場する店名、地名、人名を「捺 捺 捺」で表現した。





三田村さんに聞けばひとつの描印(はんこの文字デザイン)をつくるのは1~2時間ほどだと。
文字のハネも一般のフォントのような決まりもなく、全体のバランス、間などで作り出すとのこと。
まさにアートの世界と感じた。

個展の会期は終了しており、「捺 捺 捺」の“宇宙”を下記ホームページでご覧いただきたい。

https://mitamura-inshouten.com/


三田村印章店


〒540-0037 大阪市中央区内平野町1-1-6-103
営業時間 9:00~19:00
定休日 日曜、祝日
電話 06‐6943-8003 
FAX 06‐6943-8002
Mail info@mitamura-inshouten.com 





















 





ぜひ、大草原から星を見ませんか!


おしゃべり、なべちゃんです。

私のお気に入りSPOTのひとつ、花園中央公園にあるドリーム21のプラネタリウムのご紹介です!





東大阪市立児童文化スポーツセンタードリーム21のプラネタリウムが先日リニューアルオープンしました。

東大阪市専用にカスタマイズされた世界最高性能を有する、最新の全天周デジタル映像システムの投影機「ケイロンIII」。

美しい星空と迫力ある映像を投映。

座席や照明・音響、入口ロビーも一新し、全ての人に感動体験を提供する施設に生まれ変わります。


プラネタリウムの利用料金を改定されました。⇒大人600円 高校生300円 4歳から中学生200円






 ドリーム21はスポーツホール「のびのびひろば」、プラネタリウム「うちゅうひろば」、科学展示室「たんけんひろば」、多目的文化ホール「ほしっこひろば」の4つの施設を備えています。

プラネタリウムは開館以来初めてとなる全面リニューアルで!

投影機は五藤光学研究所(東京都府中市)の「ケイロンIII」を導入し世界最高峰の光学式プラネタリウムです。

天の川を10億個を超える星の数で再現できるように東大阪市専用にカスタマイズされています。

投影機設置と同時に座席や床、ロビーも一新されました。

緑を基調としておりそこはまさに、芝生や草むら気分。

寝転びながら星空を見上げるような感覚が味わえます。

席数は260席から180席に減らし、座席幅を48センチから55センチに広げてゆったり鑑賞!

おすすめの多目的シートはペアシートや寝転んで見上げれます。

車椅子席の増設や聴覚障害者用の磁気ループの設置などバリアフリー化された設備も!

座席のヘッドカバーや多目的スペース東大阪市内のものづくり企業の製品を採用。

ニット糸メーカー「エップヤーン」(菱江2)の高品質Tシャツブランド「東大阪繊維研究所」のTシャツ生地を採用し、、ビーズ(川俣1)のキャンプ用品ブランド「DOD(ディーオーディー)」のエアマット「ソトネノサソイ」を導入し、東大阪らしい設備に!

投資額は約2億9,000万円ですぞ!



コロナ以前は年間4万人強が入場しており、リニューアル後は30%以上の入場者数増加を見込みます。

去る3月26日にはリニューアルオープン記念式典が行われ、招待された約100人が参加しました。

ケイロンIIIの機能紹介番組とリニューアル番組「わたしはだれ?」を一足早く楽みました。


みなさんも、 ぜひ大草原から星を見ませんか!



施設概要


東大阪市立児童文化スポーツセンター ドリーム21
HP: https://www.dream21.higashiosaka.osaka.jp/

住所:東大阪市松原南2丁目7-21
TEL:072-962-0211 FAX:072-962-0810
mail:info@dream21.higashiosaka.osaka.jp

開館時間:9時30分~17時
休館日:月曜、祝日の翌日 ※年末年始は休館
プラネタリウム入場料金:
大人=600円、高校生=300円、4歳~中学生=200円







大阪万博、会場内は全面キャッシュレス…独自アプリ導入!


2025年の大阪・関西万博を運営する日本国際博覧会協会(万博協会)は、万博会場内での決済を全面キャッシュレスとし、現金を扱わない方針を固めました。

万博独自の電子マネーアプリ「EXPOデジタルウォレット」を導入し、買い物などに利用してもらいます。
全面的なキャッシュレスは、これまでの万博で初めてになります。




万博では25年4月から半年間で約2,820万人の来場を見込んでいます。
レストランや売店のレジの混雑解消や、防犯対策の強化のほか、非接触による感染症予防が狙いです。


来場者には、自身のスマートフォンに電子マネーのアプリをダウンロードします。
銀行口座やクレジットカードから電子マネーをチャージして支払います。
万博独自のポイントサービスも導入されます。

会期前からポイントをためて、会期中に開催されるプログラムにポイントで参加できる仕組みも整えていくそうです。
決済には、クレジットカードや交通系ICカード、QRコード決済なども使用できるようにしていきます。

スマホなどを持たない修学旅行生や外国人来場者には、プリペイドカードを販売していきます。

決済手段を巡っては、万博協会が昨年、サービスを担う事業者にSMBCグループとりそなグループ、SBIグループ、三菱UFJフィナンシャル・グループの4金融機関を選定し、共同で決済システムの設計や運用を検討してきました。

4グループは900台以上の端末を無償提供。
万博閉幕後の活用も視野に整備を進めていきます。

2025年以降は老若男女、当たり前のキャッシュレスの世界が到来するでしょう!


三井住友カード「ペイサポ」より







【日本企業とASEANイスラム市場を繋げる】~『オオサカジン』セミナー&交流会報告!


6月29日に【日本企業とASEANイスラム市場を繋げる】をテーマとしたセミナー&交流会 をリアル開催致しました。

弊社『オオサカジン』では、大阪本社の社長様にお集まりいただき、定期的に『オオサカジン』主催のイベントを開催しております。




今回参加いただきました企業は7社。この酷暑の中でのお運びに、編集スタッフ一同 感謝、感謝です!
企業様の中には2社、外国の方のご参加もあり、国際色豊かな催しとなりました。
活発な交流会となり、あっという間の90分間でした。


●セミナー内容
①世界に広がるイスラムの潜在的な市場ポテンシャル
②ムスリムを語る上で不可避の「ハラール」に関する基礎的な情報

併せて、日本企業のASEANイスラム市場進出を支援する弊社のビジネスメディア「Salam Groovy Japan(サラム グルービー ジャパン)」のご案内もさせて頂きました。

世界一のイスラム市場のハブとなるマレーシア・インドネシアの2か国を中心にした市場のポテンシャルの基礎知識。
ハラールとハラームの違い。更に「疑わしいもの」のシュブハなど最も大事な宗教的な知識面などを弊社webコンテンツ事業部の小西取締役が講師として解説しました。




イスラム教徒(ムスリム)は世界人口の1/4、実に19億人を擁する巨大な市場です。
イスラム教と言えば、「中東」をイメージする人も多いと思いますが、世界最多のイスラム市場はASEANに広がっています。
そしてそのビジネスにおける中心がマレーシアであり、インドネシアの二か国、それは国策としているからです。

膝をつきあわせての意見交換や情報交換をできるリアルな交流会は、繋がりづくりに非常に効果的なものです。
今後も定期的に開催していきます。





●なぜ交流会なのか?

弊社代表の野上のコメントです。
「新しくビジネスモデルを構築するのに中小企業は情報が不足したりビジネスモデルのパーツが不足していることがあります。そこを自ら構築していても時代のスピードに追いつかない。
そこを埋めてくれる協業者や協力者が必要で、ただそれを埋めてくれるだけのものでなく、新しい気づきが新たなヒント、アイデアにつながつているのがわかり、このような交流会、セミナーを行っているのです。」



◇◇◇◇◇◇  次回ご案内/3部構成  ◇◇◇◇◇◇ 

●プログラム
1部/セミナー
【Z世代に有効なSNSを使った広報・マーケティング】 講師:舞空キャンパス
現役の大学生を講師に招き、生の声をお聞きします。
舞空キャンパス:中学1年生~大学4年生まで、約3000人が所属している学生団体
https://www.sdgs-products.com/maisora

2部/横浜企業との交流会
今回は横浜の企業様10社以上が参加予定です。

3部/懇親会/会食

●日時
2022年8月23日(火)

1・2部/15:30~17:30  3部/18:30~20:30頃
※17:30~18:30 移動・ご休憩

●会費(予定)
1・2部/会費2,000円
3部/会費制、詳細は決まり次第お伝えします。

●場所
いずれも大阪市内。
1・2部と3部は別の場所で開催の予定です。

お忙しい中恐れ入りますが、上記内容をご確認いただき、
ご興味があるか下記Googleフォームでお申し込みください。

●お申し込み 
https://docs.google.com/forms/d/1E2GVupBrUlpqkJem8m53YgOt-35H3juNwxQd5ig0Tsc/edit


ご参加を心よりお待ちしておりますと共に、
お会いできますことを楽しみにしております!







天王寺・鉄道病院横の大衆食堂「いせや」さんに追跡ランチなのさ!


「オオサカジン」社長インタビューでお世話になるであろうフルタ製菓株式会社さんに行く途中の「いせや食堂」さん。
スタッフMの「最初はす~と見過ごして、あれ?なんか暖簾がある?ここ食堂?と見逃してしまう、、全くこちらにアピールをしてこない店構え」の飛び込みランチ報告を追跡調査。
いざ検証なのさ!

やはりまさしく大衆食堂感満点のお店

場所はこちら
https://goo.gl/maps/GKWUuiv1r3c3J4yZ6

目的通りこちらで追跡腹ごしらえすることに。
ちょうど昼のラッシュが始まる寸前、お客さんはピン(1人)ばかり1人。
自分はスタッフM情報の焼きそば定食でもカラアゲ定食でもなくミニ中丼定食を注文。

シールド向いに座った近所の工員さんはこの店の一番人気カラアゲ定食です。




待つ事10分ほど、お目当てのミニ中丼定食が登場!スタッフMコミ以上のボリューム




これは還暦の自分は危険な量!すぐに取り皿をもらって向かいの工員さんにヘルプのお願いはできません!
まずは中華そばから。噂は聞いてないが鶏がらと野菜との優しいハーモニーのスープ、まずは当たり、
次に中華丼。お味は塩主体のまろやかやな八宝菜風!これまた

それから工員さんから「カラアゲ一つ貰って食べることは」できないが、見てて、これは納得。
野球のボールほどの大きさが6つも入ってる!
スタッフM曰く「ジュウシーで中に肉汁が残った抜群のカラアゲ」。
見るだけでも
工員さん、野菜スープから始め、次に白めし。またスープ⇒白めしのループ。
いつ大きな肉塊を食するのか、私の手が止まる。
ついに唐揚げ一つ、そして2つ、3つ、4つと肉塊の連続三振喰い!



今日の追跡大成功

こちらは最近はあまりない喫煙ok店、愛煙家にはたまらないお店。

「コーヒーをお願い」・・・できなかったが満足ランチ完了。
ごちそうさまでした。

お店は大将と奥さん?のお二人でやっておられます。



スタッフMの「ちなみにおそらくですが、食後のコーヒーはサービスの模様?」の様相は皆無。
本日の会計は1人で1人750円。なんとあの美味しさ&ボリュウムでですよ!

ほんま安くておいしい大満足ランチでした。

メニューを見ますと、うどん・丼もあります。
次回2人で行く時は、カラアゲ定食にチャレンジしてみよう!?



「いせや」さんの食べログは⇒こちらから。





まるい陸と海の磯はマルでした。


★陸から海へ



先日、日本ボクシング史上、最高の試合があった。
世界ミドル級統一戦「WBC王者の村田対IBF王者のゴロフキン」の戦い。
同じ世界チャンピオンだが、力量は親子ほどの差がある統一戦だった。

ゴロフキンとは何者か?
ゴロフキンは、カザフスタンのプロボクサーで元WBAスーパー・WBC世界ミドル級王者。
この試合前はIFB世界ミドル級の王者で44戦 42勝 (37KO) 1敗 1分 KO率:はなんと90%!
ミドル級歴代最多となる通算21回目のタイトル防衛を果たす。
アマプロ時代を合わせて、ノックダウンやストップ負けの経験がない、歴史上最強クラスのボクサーといえる。

しかし、村田はその怪物に逃げずに果敢に攻めた。
そして敗れた。
この試合は私のボクシング観戦歴50年のベストバウト(名勝負)の一つにあげられるものであった。


先日の日曜、4月17日にその「村田vs.ゴロフキン」の同級階級の試合を観戦した。
プロボクシング日本ミドル級王座決定戦「国本 陸 対 酒井幹生」の戦いだ。


会場は大阪・住吉区民センター。
日本ミドル級1位の国本と同級2位の 酒井の頂上決戦!
国本は大阪の六島ジム、酒井は東京の角海老宝石ジム。
大阪対東京の戦いでもあった。
余談だがこの日、プロ野球でも大阪対東京の戦いが甲子園で行われていた。
我が虎軍は今シーズンまだ2勝。
しかし巨人軍に3タテ勝利にはならなかったが、、。

話をボクシングに戻そう。
この試合、国本の判定3対0の勝利で国本が勝った。
内容は接近戦の打ち合いだったが両者の攻めがワンパターンの単調な攻め方で、共に詰め切れない展開が10ラウンドの最後まで続いた。
前座の3試合の方が見ていて面白かったのが正直な感想。
但し日本では選手層が少ない中流級のミドル級のパンチ力は前座の軽量級とは比べ物にならない程、迫力があった。




会場の住吉区民センターは南海「沢ノ町」駅にある。
この駅付近には以前から気になっていた町中華「まるい飯店」がある。

学生時代、つまり40年も前に梅田駅前ビルが建つ前は戦後闇市の名残がある問屋が並ぶスラム街だった。
その北端に「まるい飯店」があった。
ラーメン100円で有名になり、同じ屋号がたくさん出来ていったようだ。
因みに、本家「まるい飯店」は今、兎我野町にある。

で、ここ沢ノ町「まるい飯店」を攻めてみる。

お昼時、店内はほぼ満席。カウンター席に陣取る。
まずは餃子で味チェック。
薄皮、キャベツ・ニラ・ニンニクもバランスが良くOK。八宝菜は×だったが。
ラーメンは100円ではなかったが、鶏がらベースの醤油味、町中華王道の味だ。
懐かしいナルトが入ってたのはご愛敬。
ナルトは今や、絶滅危惧薬味なのだ。
ただギザギザでない丸いナルトは初めて。



話をボクシングに戻る。
日本ミドル級王座決定戦は大阪方、つまり国本 陸の勝利に終わる。


さて、夕飯とする。
陸が勝ったので、ここは「海」を攻める。
数年ぶりの海鮮居酒屋 磯丸水産に入る。

この店の売りは自分で焼く網焼きスタイル。
目の前で焼ける楽しさ!(俺は嫌い)

石川県の地酒をまず頂く。
アテは各種キノコ焼きから開始。
烏賊のはらわたをまぶしたキノコが絶品だ。

続いて水槽から引き揚げたばかりの活ホタテを網へ。
焼きあがる前に備え付けのだし醤油を数滴垂らす。
かぶさっていた上の貝をナイフ代わりにしてホタテをほじくる。
そして、はらわたごと、一気にお口へ誘導する。

あ~、生きてて良かった~!

至福のひと刻。

一番人気の蟹味噌甲羅焼きをもらう。
こいつも美味。いろんな魚介のすり身が口の中で混乱と整然を繰り返す。

あ~、生きてて良かった~!

隣のカップルの烏賊の丸焼きが美味そう!
はらわたを抜いた烏賊の円筒の胴がほおかに茶色に。
そこで備え付けのだし醤油をピュ!ピュ!と入れている。
成るほど!

こちらも烏賊の丸焼きをオーダーする!
だし醤油をピュ!ピュ!と、真似をする。

あ~、生きてて良かった~!


今日は、「まる」「陸」「海」「丸」の一日でした。





食っキング、ショッキング! 第5回「寿がきやラーメン」


第5回「寿がきやラーメン」

寿がきやラーメンは昭和21年に名古屋栄で開業。
当初は甘党の店だった。(その名残でソフトクリームが今もある。)
昭和23年にメニューにラーメンが加わり、店名が「寿がきや」となった。

私と寿がきやラーメンの出会いは171号線沿い伊丹にあるイズミヤ昆陽店。
小学校時代と記憶するから50年も前のこと。
イズミヤ最上階(5階?)のレストランフロア。
Uの字のカウンターのみ、10席ほどの店舗だった。

値段はラーメン一杯が驚きの100円!

この時代の世間のラーメン代の相場は200~300円だったと記憶する。
実に世間一般の半額の値段で、しかもインスタントではない本物が食べれたのだ。
さらにこのラーメンの衝撃波は続く。

「とんこつスープ」だ。

今でこそ当たり前の豚骨スープだが、その当時は大衆の街中華のお店では無かった。
当然インスタントとんこつの雄、「うまかっちゃん」も世に出ていない。



初めて目にするお椀の中の白濁色。出てきた瞬間、「牛乳を入れてる?」と真剣に思った。

更に驚きは続く。
レンゲではなく「先割れスプーン」が。

給食かい。
ラーメンにプラスチックではなくステンレスの先割れスプーンとは。
なんじゃこりゃ、こりゃ!である。

薄いチャーシューになけなしのシナチク。
隣のおっさんは卵入りを食してる。(確か生卵だった)

いざ、スープを飲んでみる。

「???」

現在隆盛を極めてる「和風とんこつ」だった。
当時はそんな格好のいいネーミングもなかったが、
その和風味が子供のお口にも丁度よく、100円の価格と相まって
おやつ代わりに何度も何度も通ったものだ。

今だに愛すべき「寿がきやラーメン」。
出会った当時の衝撃が忘れられない。


ファストフードに不馴れな私は間違えて頼んだ寿がきやラーメン。本当は素のラーメンにしたかった泣き

追記
イズミヤ昆陽店向かいの専門店街に中華料理屋があった。
そこのラーメン(醤油)も100円に値下げし、寿がきやとのバトルが始まった。
学校では「寿がきや派」と「中華派」に分かれた。
現在、イズミヤ昆陽店は顕在だが、寿がきやも中華料理屋も今はない。





食ッキング!ショッキング! 第4回 「カップヌードル」


第4回 「カップヌードル」

1970年代、毎週日曜の夕方。
4チャンではTV画面の向こうから長髪の司会者 斎藤努が観客席のお客にマイクを向け
「Happy?」
お客はお決まりの返答で
「Happy!」


そう、伝説の公開番組「ヤングOH!OH!」だ。
日曜の夕方、しかも裏番組は江戸の巨人番組「笑点」。
その番組スポンサーが日清食品。
大阪ローカル番組自慢の視聴者参加型番組のひとつだ。(※1)
※1:古くは「てなもんや三度笠」「夫婦善哉」から始まり「ただいま恋愛中!」「パンチDEデート!」「プロポーズ大作戦」、そして「探偵!ナイトスクープ」まで大阪制作は東京に比べ制作費が少ない中、おもろい素人を素材にした多くの伝説の番組が生まれた。

「ヤングOH!OH!」での素人参加コーナーが終わると(確かタレントや歌手までも)、
世界初の丼ぶりのいらないラーメン「日清カップヌードル」3個セットをもらってステージを下りる。


そのあとのコマーシャルシーンもカップヌードル。
銀座歩行者天国を金髪の外人お嬢さんが二人、歩きながらフォークでカップヌードルを食べている。
何ともおしゃれ。(※2)
そう、「ヌードル」という言葉も生まれて初めて聞く言葉。
※2:カップヌードル開発は創業者安藤百福がアメリカでの自社商品試食会で、チキンラーメンを紙コップに小分けに崩してお湯を注ぐシーンを見て思いつく。アメリカには丼ぶりの習慣がない。カップヌードルは世界戦略からヌードルとネーミングし、CMも外人のお嬢ちゃんを日本一の高級商業エリア銀座歩行者天国でフォーク片手の食べ歩きとした。
更にラーメンでは考えられないエビや玉子、肉(謎肉)という具材も当時は画期的であった。
この具材開発は朝ドラ「まんぷく」で細かく描いている。ご参照あれ!



「ヤングOH!OH!」でお持ち帰りするカップヌードルとは何ぞや?

チキンラーメンやサッポロ一番などの袋麺をカップにお湯を注ぐだけで3分後にインスタントラーメンができるとは?
当時の子供、いや大人達も信じられなかった。

家から自転車で30分もかかる隣町の「武庫スーパー」の入り口にそのカップヌードルを見つけた。
それはカップヌードル(当然しょうゆ味のみ)専用の販売機だった。

販売機上部の大型写真は蓋を開けたカップヌードルのアップ写真。
麺の上で肉、エビ、玉子、ねぎがバランスよく配置され、青・赤・黄・茶色が実に美味そうに盛り上がって見える。
販売機の下半分は見たことのない書体(フォント)、そう今でも変わらないカップヌードルの英語表記文字がでかでかと書かれていた。
ある時姉と相談して2つ買うことにした。
カップヌードルの価格は100円。
当時の袋麺が25円前後であったことを考えると、決して安いとは言えない価格だ。


俺は自転車で隣町の武庫スーパーに一目散。
立漕ぎだ。
一度も行ったことがないそのスーパーに、見たこともないカップヌードルを求めに行くのだった。


100円硬貨を2枚入れる。
サンプルの5つのカップヌードルはすべて同じ商品。
右から2つめのボタンを2回強く押す。
ゴロンッ! ゴロンッ!

おー、これが夢にまで見たカップヌードルだ。

自転車の前かごに裸のカップヌードル2つを入れていざ、自宅へ。
誰かに盗られる?
俺は往きの街中の路地を避け、人気(ひとけ)の少ない武庫川の土手から自宅へ戻ることにした。


お湯を入れて袋麺の湯で時間と同じ3分(※3)を待った。
姉と二人はそれぞれのマイ・カップヌードルのふたを開ける。
※3:昭和40年代、チキンラーメンから始まったインスタント食品はほぼすべてが3分間だった。
かの「ボンカレー」の当時のCMでは笑福亭仁鶴が「ボン!3分間待つのじゃぞ!」が子供達の流行語になった。
因みに5分間は著者の記憶では「どん兵衛」からではないか?


チキン風味の湯気があがる。
箸(俺は銀座の外国人ではない。)で麺をすくい上げ、食す。
おっ?チキンラーメンやん!
肉を一つ食べる。

玉子も。
不思議な食感。

Happy?

流行の最先端を体験した俺は
少し「Happy!」だった。










食っキング、ショッキング! 第3回 ファミリーレストラン「ビッグボーイ」の巻


ファミリーレストラン「ビッグボーイ」エピソード1の巻

そこはアメリカだった。

1日4時間のアメリカ旅行。
見るもの、触るもの全て、それどころか、臭いまでもがアメリカだった。
今回は客ではなくスタッフ目線での食ッキング!ショッキング編。

生まれて初めてのファミリーレストランの食体験はバイト勤務の立場から。
パンケーキやクラブハウスサンド。
サーロインやリブ、はたまたランプ。

ホットケーキに玉子サンドは知ってたが。
かしわのももは知ってたが、牛ステーキの様々な部位までは知らなかった。

バイト勤務は毎晩10時から深夜2時まで。
当時掛け持ちバイトをしてた。
夕方6時から9時までの個人経営の町中華屋のバイト。
その後にファミリーレストラン「ビッグボーイ」だった。




個人経営の町中華屋は水道の水が漏れるのもご法度。
唐揚げの横に添えるパセリは完全体なら次の客へのリユース。
餃子の餡子は少し古くなれば胡麻ラー油でごまかす。
そんな下層・貧相なルールに慣れた私が、当時最先端の外食文化の先鋒の
ファミリーレストランの表と裏側を同時に見ることになる。

同じ飲食店でありながらすべてが旧態依然の町中華屋。
片やアメリカ最先端の調理機器や厨房システム。
そして見たことのない食材の数々。
人生でこれほどショッキングな体験は後にも先にも「ビッグボーイ」がいま振り返ってもナンバーワンな体験であった。

【広さ】
今でこそ郊外店舗の広さは誰しもが経験済みだが、当時「ビッグボーイ」の店の大きさには驚いた。

【洗い場・仕込み場】
奥にある巨大な冷蔵・冷凍庫と主にステーキを焼く厨房スペースとの中継基地のようなスペース。
フライドチキンのフライヤーや瓶・缶など開けたり、ピザをオーブンで焼くその手前の仕込みの調理(当時は手作り)場だった。
さっきまで働いてた中華料理屋がすっぽりそのまま入るスペース。

「ビッグボーイ」初日は裏方の洗い場専任。
その洗い場のセンターに巨大な「鉄の箱」がデーンと置かれている。
手前には上からホースがだらりとぶら下がっている。
ホースの先端には何やら手動のシャワーのようなものが付いている。
ホール係から持ち込まれてくる茶色の大きなプラスチックケースには大量のステーキの鉄板やら大皿やコップや食器が満杯に、無造作に掘り込まれている。

社員の説明から謎の「鉄の箱」は巨大な自動食器洗い器だった。
手前にぶらさがるホースは食器洗い機に入れる前、食器に付いた食べ残りやソースなどを洗い流す手動の強力噴射ホースだった。
食べ終わった食器類の山を大きなケースからひとつずつ取り出し、洗浄用の大きな柵に入れていく。
全体に突起が付いているから食器は重ならない。
そして自動食器洗い器の大きな四角いはステンレス製の箱カバーを横についたレバーで下して、スイッチを入れる。
洗浄が始まり数分後、そのステンレス製の箱カバーがガシャーン!と音を立て自動で上に上がる。
食器は出来立ての料理のごとく、湯気がモワ~と上がり洗浄の完成となる。

中華店では素手の手洗い。
油だらけのお皿、どんぶりなどの食器類をを少しだけ洗剤を染み込ませたスポンジで洗う。
洗い場は会社のデスクの少し小さいくらいの狭さ。

アメリカの凄さ、大きさに驚いた。





てんま天神梅まつり ~盆梅と刀剣展~


「盆梅(ぼんばい)」

この言葉は滋賀の長浜で最初に知った。
長浜梅盆展。
盆梅とは梅の盆栽。
90鉢も展示されるらしい。
しかしまだ見たことがない。


処変わって、大阪天満宮。

ここは菅原道真公をお祀りされている。
日本三大祭のひとつが大阪は天神祭。
ここが本宮となる。


大阪天満宮の盆梅展に行った。

盆栽は子供の頃から不思議に大好き。
自然の大樹をミニチュア化された盆栽は
昔から大好きな恐竜・怪獣のフィギユア(造形物)と同じ魅力を感じる。

てんまの盆梅展は50鉢ほどが展示されていた。
会場の座敷に入ると樹齢300年がいきなり鎮座、圧倒される。





我が齢と同級生を探すが無い。
100年クラスも多くみられた。

この日、95歳の父の終末期診療方針を主治医と相談した後だったこともあり、
この盆梅たちの生命力に深く感心した。







追記

大阪天満宮の入り口近くに、かなり小さな旅行代理店があったのを思い出して探してみる。
会社はあったが社名が違う気がする。
その会社は世界の秘境など自由旅行を得意とする。
昔ここでの商談時、旅行のお礼の手紙が額に掲げられていた。
それは「ちびまる子ちゃん」、さくらももこの手紙だった。

梅とさくら。お後がよろしいようで・・・・。





食っキング、ショッキング! 第1回「天下一品ラーメン」


第1回「天下一品ラーメン」

今の外食産業は1970年の大阪万博がきっかけである。
例えばケンタッキーフライドチキンは実験店舗を出店。
大阪が生んだ回転ずし「廻る元禄寿司」は万博で食事優秀店に表彰され一気に認知された。

こうして1970年は外食産業元年となった。
私はというと、毎日腹を空かせる十代 飢餓 ド真ん中!
我が青春時代は様々な外食産業が現れた時代とドンピシャに重なる。
この場を通じて極私的外食初体験を綴ってみる。

時は昭和56年、大学二回生の頃。
ファミリーレストラン ビッグボーイ西昆陽店(今はもうない)のアルバイトを終えた
深夜2時過ぎ。
育成調理師専門学校出のシェフが
「おまえら、めちゃくちゃ凄いラーメン食いに行かへんか?」
「めちゃくちゃって、何ですのん?」
「どう説明したらええのかなぁ・・・、わからんラーメンっちゅうことや!
まぁ、食べたらわかるわ!」

で、深夜2時半過ぎ、シェフの車にバイトメンバー3名とで乗った。
着いたところはのパチンコ屋の駐車場に併設したラーメン屋。
松下電器(今のパナソニック)の工場が微かに見えていたから門真?
当時は24時間営業。
店全体がトラック野郎や深夜重労働者相手にしてるのか、屋根から店回り全体が
ネオンで煌々と照らされ、ラスベガスのカジノを一戸建てにした、俗っぽ感があった。

カウンター席に座る。
カウンター内はスープの入った寸胴と麺を湯がく大鍋からモクモクと湯気が立ち込めていた。
名物「こってり」を全員が頼む。
「ヘイ お待ち!!」
どんぶり下にアルミのお皿が敷かれていた。
生まれて初めてのどんぶり受け皿を見た。
当時町中華のバイトもしていた。
中華料理屋にはまずどんぶり受け皿は付かない。
洗い場の俺の仕事が増えるのではない。
意味がないからだ。
しかしここでは付いてる。???
更に驚きは続く。
青ネギてんこ盛りのザルが別に出されたのだ。
青ネギ入れ放題だ。
出されたラーメンスープは茶色がかった白濁色。
とんこつ?
一口飲んでみる。
「何、これ?」。
一同顔を合わせる。

これが誰もが経験する天一の第一印象。
それが「天下一品ラーメン」との出会いだった。

今でこそ「テンイチ」と呼ばれるこのラーメン。
当時はみんな「麻薬ラーメン」と言っていた。
漫画「美味しんぼう」だったか?他の漫画だったかに取り上げられ、
一度食べたら、数日後また食べたくなる味からその名が付いたようだ。

体験1週間後、シェフに「麻薬ラーメン、また連れてってくださいよ!」

私も中毒になっていた。

古民家を改造した信楽店



※京都で生まれた天下一品。そのお店は大阪第一号店だったことは後から知った。





堀江遊郭


弊社『オオサカジン』編集部は大阪市西区堀江を所在としている。
10数年前に天神橋から事務所を移転した。

移転当時の堀江は今以上にファッション、雑貨、フードの街として大阪の最先端エリアであった。
今でこそ事務所裏(西側)にコンビニが出来ているが、当時この界隈、つまり東西は四つ橋筋から西へなにわ筋まで。
南北は長堀橋から道頓堀川までのエリアにはコンビニ、フードなどの大手チェーン店舗は一切出店が禁止された街づくりを図っていた。
戦後この界隈は大阪湾が近いこともあり材木、家具問屋で栄えた。
(新婚当時の著者も今のオレンジストリートに家具を買いに来た思い出もある)
編集部の移転当時は将棋盤・駒造りのお店や欄間屋さんが事務所周りにあり、その面影を少し残していた。

堀江はアメリカ村横ということもあり、毎日多くの若者が堀江に集まる最先端文化の街と化したが、以前は材木問屋街だった。

時代を江戸まで遡ってみる。
堀江は遊郭街となる。
「ほんまに?」
ほんまです。




以前、弊社近くの病院の待合室に堀江の歴史本が置かれ、手に取って拾い読みしててそのことを知る。
その後拙者は堀江遊郭に興味を覚え、調べ出す。
これがすこぶる面白い。

では、堀江遊郭の変遷をみていくことにしましょう。
落語でお馴染みの「あみだ池」からの物語。

百済からもたらされた阿弥陀如来像。
廃仏派の物部氏が蘇我氏から奪った阿弥陀如来像を「難波の堀江」に叩き込む。
その後、信濃国国司の本田善光が「難波の堀江」に棄てられた仏像を池より拾い上げて信濃へ持帰り、
阿弥陀如来を本尊とし善光寺を興したとされています。
そして、この「難波の堀江」があみだ(阿弥陀)池と呼ばれるように。
時は元禄(1688年頃)。今から320年も前の話。

善光寺の阿弥陀如来がこのあみだ池より出現した伝説により、池のある和光寺に参詣者が押し寄せる。
人が来れば茶屋が軒並に出来る。更にお寺の富くじ(=宝くじ)ブームに乗り和光寺の富くじに
大挙と人が来る。お寺の界隈はお茶屋で歓楽街と化す。
客人は茶より酒。酒ならオンナ。これ今も昔もオトコの原理原則。
そうなると風俗店も現れますわな。
さあ、そうなると日頃反感のある者たちやお寺の信徒者から風紀問題が持ち上がる。
その結果、当時荒れ地であった堀江に移転と相成り、ここに「堀江新地」が誕生する。

最初、堀江は茶屋、湯屋、宿屋から芝居小屋、色町まである一大歓楽街であった。
そう今の道頓堀のような感じ。

天保13年(1842年)、かの有名な老中水野忠邦 の天保の改革が起こる。
倹約令、「ぜいたくするな!」の布告。
堀江色町一同はさらに南方面の幸町に移転される。
ここは僻地もへき地。交通の便も悪く商売あがったり。
色町同業者は堀江に「帰りたい、戻りたい」の復帰運動が始まる。
時は安政4年(1857年)堀江に戻ることが許され、遂には免許区域遊郭となる。
その後明治元年に大阪市中に散在する遊郭を松島に集約させられたり、明治5年芸娼妓養女解放令では
全国の廓(=芸娼妓貸席業置屋)の灯の火は消えていくことになる。

堀江遊郭が他の遊郭より芸妓に美形が多く、そして品位。
娼妓は女紅場(にょこうば:明治初期に存在した女学校の一種)で一般教養、国語・英語・算数・裁縫等を学ばせる。
技芸奨励させる様々な施設も完備されていた。
お金に狂うことを戒め、技芸に打ち込み誠心誠意でお客に接すること。
廃業後は良妻賢母の道を教えさせた。

このように堀江は他の遊郭にない「芸妓本位の廓」として謳われたようだ。




【トピックス】
これらの活動により堀江遊郭は当時の大阪府知事 渡邊昇から賞状も授与される。
その後明治14年(1881年)の大火。明治38年(1905年)には、かの「堀江六人斬り事件」が起こる。
「堀江六人斬り事件」で芸妓妻吉(大石 順教) は両腕を切断されながらもその後、日本画家・真言宗山階派の尼僧となる。
大石 順教は高視聴率のTV番組「知ってるつもり」でも取り上げられていた。
このお話しはまたの機会に。

みなさんも、ご縁のある土地の歴史や文化、謂われなど調べてみるのもいいのでは。
より、愛着が生まれてきますよ。





住友VISAカード申込み専用ラック、再会!


弊社創業のおよそ10年後頃、すでに収益軸として出来上がっていた求人広告代理業に続く、第2第3の収益軸を模索していた。

求人広告だけでなく、企業向け販売促進、つまりセールスプロモーション(SP)領域にも展開し出した。

例えばその商材の一つには、今は無くなってしまったが、マクドナルドの店内無料雑誌『マック・ジョイ』広告掲載と店内飲食用トレーの上に敷く紙上の広告枠などもあった。

トレー紙面の右半分が企業広告スペースになっており、両媒体の名称を「トレーマット・アド・システム」といった。

そのサブ代理店が弊社だった。

また、現在のピザの宅配便用バイクを改造したイベント告知用バイク「アド・キャッチャー」は10台も保有し、テレビ番組の宣伝なども行った。

これらの媒体で大手・中堅の広告代理店から様々な有名・無名企業の商品の宣伝活動の一助を担ったものだ。

当時は今以上に怖いものなし。

社長と私、その後私単独で日本マクドナルド本社に乗り込み、関西エリアのみの地域分割掲載の提案(本来は全国一斉掲載が基本。「トレーマット・アド・システム」の場合で掲載料金も1週間掲載で1,000万円を超えた!)し、その後エリア分割化もマクドナルド本社は受け入れたことで関西の代理店へ卸しやすくなった。

その他、音楽プロダクション サウンド・クリエーター社の雑誌『y』の広告専属代理店、大学体育会部室ドアにポスター掲示する企画など、今思えば相当ゲリラ的なメディアも用意していた。

その頃は売上ニーズがあれば何でも請け負った。


そんなある時、住友VISAカードの知合いから街頭設置用の大型専用ラック制作の話が来た。

当時、各カード会社はカード発行促進用に発行申し込みリーフレットを様々なお店に設置していた。

住友VISA側では専用のラックを制作し、設置店においてもらおうという魂胆だった。

そのラックの大きさも当時の各カード会社のA4サイズのラックを遥か超えた巨大なサイズであった。

他のカード会社もそのサイズを真似た専用ラックを制作し出すのだが、弊社制作のラックはリーフ、パンフのラックが各段、各コマ単位で取り外すことができる優れものだった。

その為なのか、25年経った今までに当時弊社で制作した専用ラックは度々街角で目にすることになる。

ある時は大阪地下鉄改札出口横に地下鉄案内の誠意用ラックとして。

またある場所ではコンタクトセンター店のラックとして。

便利なこの専用ラックは様々な別会社に払い下げ、今も利用されていたのだ。

先日、久しぶりに弊社制作のラックを各地で再会する。

ららぽーと和泉や新型コロナの大規模ワクチン接種会場の大阪商業大学内で。

また門真のスーパーイズミヤでも。

更に大阪駅前第3ビル地下のコンタクトセンターでは永年利用されていたのだが、先日は大枠の筐体が廃棄(?)されていたが、何とその機能性からリーフを入れる最小単位のラック枠のみが利用されていた。


お~、我が子たちよ、永遠なれ!


イズミヤ門真店

大阪商業大学

大阪駅前第3ビル地下

ららぽーと和泉